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また寝ちゃったよ…。
頑張って寝なくちゃ。晩ご飯食べた後に寝ちゃって2,3時間で目覚めてから、またすぐ寝る方法ってないかなあ?
お父さんとお母さんに別々で聞いたのに、ふたりともに源氏とか更科日記読めばって言われたよ。さすがいいところ突いてくるね。
「地球環境を守ろう」って少し意味がわかった気がするよ。みんながそう思ってるかは別として、文字通り、この今の環境を守ろうってことなんだね。
本来の地球は、硫化水素の海、二酸化炭素が充満した空、オゾン層もなく太陽光が直接届く大地に覆われていた。しかも生命が誕生した時代、酸素はそれらにとって猛毒だった。そんな微生物から進化した私たちは、今じゃ酸素なしではとても生きていけない。
その過程には、進化の基本がある。変わり行く環境の変化に適応するための“進化”だ。
元はと言えば、酸素を廃棄物として排出する微生物が増えたため、他の微生物は混乱し、消滅しかけた。しかしその中のごく僅かが、果敢に酸素の中に飛び込み、それを上手く利用できるようになった。
微生物は絶滅しない。なぜなら、地球の長きに渡る激しい環境の変化に柔軟に対応し、あらゆる環境において、生きる術を自ら手に入れてきたからだ。地球の歴史を一年に例えたときにまだ一日しか生きていない人間によって、地球がどうこうされるとは到底思えない。
人間も微生物と同じように、ただ“ヒト”という種を守っているだけなのだ。言葉を通じて別の固体と通信ができるだけで、やろうとしていることは微生物と大差ない。ただ大きく違うのは、考える能力を持っているということだ。
語りだすと長く脱線してしまいそうなので、これについては一旦止めておく。敢えて付け加えるなら、考える人間もまた自然が生み出した、環境適応した結果であり、それも当然“自然”だということだ。
他の動物について考えてみよう。可愛くて人間のためになる動物は重宝され、大多数が絶滅を防ぎたいと感じる。しかし、もし、歴史が最も長い種のうちの一つであるゴキブリが絶滅しかかっていると専門家がいくら訴えたとしても、その絶滅を心配するのは、ほんの一部だろう。
結局はその希少価値に関わらず、人間は(気持ちの面も含めて)有益か有害かによる判断で他の種と接する。
微生物だって同じだ。なりふり構わず酸素を出した。
しかし他の種はそれを見事に利用したではないか。
人間は自分たちのことを自己中心的だと非難するけれど、他の生き物はみんなそうだ。それとも、自己中心的であっていけないのは、考える力を持ったことに対する責任なのか。
確かにオゾン層の破壊は、今の地球上の生物にとっては大きな打撃だ。オゾン層ができたからこそ、高等な動植物が生まれるキッカケとなったのだから。
しかし地球は丈夫だ。それだけではびくともしない。だから好き勝手に振る舞っても、自然の摂理の中で損をするのは結局人間なのだ。
そうは言っても私は人間だ。人間のことを考えなきゃいけない。種の保存のために、また子孫の未来を“考える”と、地球の今の環境を保たなければならない。
地球が泣いているのではなく、本当は自分たちが泣いているからだ。
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